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放てば手に満てり
2024年
4月
1日
令和6年4月掲示板。
放てば手に満てり
不要なものを手放して、
心にスペースができたら、
本当に大事なもので満たされる。
大事だと思えば思うほど、執着が生まれ、『こうしなければならない」と考えれば考えるほど、苦しみが生まれます。
ですから、今ギュッと握り締めているその思いを、手放せばいい。そうすれば、そこに新しいものがやってくる。この禅語には、道元禅師のそんな教えが込められています。
自分で自分をせきたててしまうのは、あなたの中に、「キチンとしなければ」という思いがあるからではないでしょうか。
その想いが自分を苦しめているのであれば、もういらないと決めましょう。
すると力が抜け、『これでもいいのだ』と思えるはずです。その後に、本当に大事なものが心にスッと舞い込んできます。
6月の掲示板・「平等」
2023年
6月
1日
6月の掲示板・平等
「平等」
誰もが「平等」に、自由自在に生きられる
私たちが日常使っている言葉には、禅語から生まれたものがたくさんあります。
「平等」もその一つです。
現在、「平等」は“みな同じ条件や立場であること”を意味します。
しかし本来は、“才能や能力、じぶんらしさを一人一人が思う存分発揮すること”をさす言葉なのです。
そこには、どんな判断も比較もありません。
誰もが「平等」なのですから、考え方も生き方も人それぞれ違っていい。
何のこだわりもなく、自分の思うまま生きていけば、それでいいのです。
ところが私たちは、つい人と自分を比べてしまいます。
そして、自分は人より「いい、悪い」「できる、できない」『上だ、下だ」。
などと判断しては喜んだり、怒ったり、落ち込んだりしています。
例えば、会社の同期が自分より早く出世したら「負けた」とがっかりし、
今流行のSNSで友人の楽しそうな写真や知人の活躍ぶりを見ては、
置いてけぼりを食ったような気持ちになる。
そんなことはありませんか?
それは、「二元論」で物事を考えているからです。
善悪、好悪、左右、美醜・・・。
ふたつの対立した概念で物事を考えることを、二元論と言います。
この二元論にとらわれている限り、心が休まることはありません。
いつまでも「隣の芝生」を気にして、ため息をついていなければなりません。
隣の芝生はいつでも青いし、いつまでも青いのです。
禅では、二元論から解き放たれ、自由に生きることを教えます。
ものごとのよし悪しを判断せず、運命に任せきって生きる。
現前のことだけに心を向け、むやみにりきんだり、へりくだったりすることなくただ一途に行動する。
これが禅が教える生き方です。
誰もが「平等」に、そんな生き方が出来るのです。
冷暖自知(れいだんじち)
2023年
5月
1日
五月の掲示板
冷暖自知
(れいだんじち)
真実を教えてくれるのは、自分自身で感じたことだけ
清流に手を浸して、「わ、冷たい!」と思う人もいれば、
「ああ、心地良い」と感じる人もいるでしょう。
事実は一つでも、とらえ方は千差万別。
その人の状態によって、感じ方はまるで違います。
当然と言えば当然ですが、誰もあなたの代わりに、水の冷たさを感じることはできません。
逆に、あなたが誰かの代わりになることも不可能です。
ですから、他人がどう感じているかは、関係ないのです。
あなたが自分で体感したことだけが、ただ一つ、あなたにとっての真実です。
どくだみの花。
月見草
小魚呑大魚(しょうぎょたいぎょをのむ)
2023年
4月
1日
小魚呑大魚
(しょうぎょたいぎょをのむ)
あなたらしさが光れば、無敵になる。
大きく強いものが、小さく弱いものに勝つ。
そう思っていませんか?
しかし、小兵が強者を負かすこともあります。
それは気持ちが整い、気迫がみなぎっている時。
自分らしさを生かして取り組む時です。「あの人に比べてたいしたことない。」「自分にも、彼のような才能があればよかったのに。」
そうやって卑屈になっていると、いつまでもそれはできません。
自信などなくていいのです。人を真似る必要もありません。
普段の仕事に、自分なりの工夫を加えてみる。いつもの行動に、小さな心配りを込めてみる。
これは、「物事を自分の色に染める」ということです。
「自分の色」を意識することで、あなたの存在感が輝き始めます。
気持ちが整い、自分らしさが生きてきます。
それがいつしか、唯一無二のあなたらしさにつながります。
妙珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)
2023年
3月
2日
三月の掲示板
妙珠在掌
(みょうじゅたなごころにあり)
掌の中に、あなたは宝をもっている。
磨けば光るそのたからは、あなたが気づくのを待っている。
「妙珠」とは、「宝物」「貴重なもの」という意味。
地蔵菩薩や如意輪観音菩薩が手に持つ宝珠のことです。
宝物とは、自分の中に眠る大切な資質。
その尊い宝は、すでにあなたの手の中にあると、前後は説いています。
大事な宝は、もう自分の手中にあるのです。
ですから、人の宝をうらやんで自分も同じものを得ようとしたり、人より自分の宝が素晴らしいと虚勢を張ったりしなくても大丈夫。
ただし、どんなに高価な原石も、磨かなければ輝きません。
逆に、磨き続ければ必ず光ります。
まずは、自分の中に宝があるときづくこと。そこからがスタートです。
枡野老師
無事(ぶじ)つまらない日がありがたい
2023年
2月
1日
「無事」
つまらない日がありがたい
何もないところに、
悟りの境地がある。
人は楽しいこと、うれしいこと、喜びがかんじられることを求めがちです。
だから、「今日は何の変哲もないつまらない一日だった」
などと嘆くことにもなる。
しかし、本当の心の安らぎは、何も求めないこと、何も起こらないこと、にあるのです。
「何の変哲もない日」「つまらない日」にこそ、感謝しましょう。
令和五年一月 歳々年々人不同
2023年
1月
1日
歳々年々人不同
(さいさいねんねんひとおなじからず)
「今年の自分」は今年だけ。
だから、精いっぱい咲き誇ろう。
誰に遠慮することもなく、誰に自慢することもなく
花は、毎年、同じ時期に花を咲かせます。
しかし人は、毎年同じというわけにはいきません。
年年歳歳、変化していきます。
また、変化しなければ困ります。
去年の自分と今年の自分。一見大きく変わっていないように見えても、
そこには一年分の月日が流れています。
ですから、納得いく変化を遂げられるよう、今日という一日をいきるのです。
毎年咲く花も、決して去年と同じ花を咲かせているわけではありません。
今年は今年の花を、精一杯咲かせています。
その姿が美しいのです。
あなたも「今年の自分」という花を、
思う存分咲かせてください。
枡野俊明老師
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます!
パソコンのバージョンアップをしたら、ホームページに写真が載らなくなってしまいました。
早く治して写真を載せられるようにしたいと思います。
(さいさいねんねんひとおなじからず)
「今年の自分」は今年だけ。
だから、精いっぱい咲き誇ろう。
誰に遠慮することもなく、誰に自慢することもなく
花は、毎年、同じ時期に花を咲かせます。
しかし人は、毎年同じというわけにはいきません。
年年歳歳、変化していきます。
また、変化しなければ困ります。
去年の自分と今年の自分。一見大きく変わっていないように見えても、
そこには一年分の月日が流れています。
ですから、納得いく変化を遂げられるよう、今日という一日をいきるのです。
毎年咲く花も、決して去年と同じ花を咲かせているわけではありません。
今年は今年の花を、精一杯咲かせています。
その姿が美しいのです。
あなたも「今年の自分」という花を、
思う存分咲かせてください。
枡野俊明老師
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます!
パソコンのバージョンアップをしたら、ホームページに写真が載らなくなってしまいました。
早く治して写真を載せられるようにしたいと思います。
今年歓笑復明年(ことしかんしょうまたみょうねん)
2022年
12月
2日
今年歓笑復明年
(ことしかんしょうまたみょうねん)
「笑顔を一つ増やそう」という次年への思い
今年も喜び笑って過ごしたように、
きたる年も、また、そうありたいものである。
年の瀬は次の年に思いをはせる時期でもあるでしょう。
一年のあいだにはいろいろなことがあります。
笑顔になれることばかりではなかったはずです。
しかし、ともかくも、乗り切って無事に年の瀬をむかえている。
そのことに感謝し、
「来年は今年より笑顔がひとつでも増えるような生き方をしよう」
と心に決める。
そんな禅語です。
秋露白如玉(しゅうろしろきことたまのごとし)
2022年
11月
1日
秋露白如玉
(しゅうろしろきことたまのごとし)
融通無碍も、無我も、根底には本文がある
葉の上に宿る秋の梅雨は、美しい玉のようである。
たなびく風によって、左右に動くさまは、
自由無碍であり、葉の色によって、
緑にも、赤にもなる様子は、無我の境地である。
みずからの人生の儚さを、『露』に喩えたのは、豊臣秀吉でした。
その『露』には、また、融通無碍であり、無我でもある、という側面があります。
人もそのようでありたいものですが、もっと大切なことは、どのような時にも、露であるという本文を失っていないことです。
確たる自分があってこその、融通無碍、無我なのです。
2022年10月1日真観清浄観(しんかんしょうじょうかん)
2022年
10月
1日
真観清浄観
(しんかんしょうじょうかん)
削ぎ落し、削ぎ落す、
そこに清々しさがある
ほんとうの悟りとは、何かを掴み取った状態ではない。
余計なものを削ぎ落したときに、
自ずと表れてくる、清々しい境地である。
禅の考え方の基本は「引き算」です。
物であれば、できるかぎり、手放し、削ぎ落し、捨てていく。
それでも残るものを、必要だとするのです。
思いも同じです。
心に入ってくる思いを、とどめることなく、消えるにまかせる。
そうすることで、周囲の環境も、心のありようも、
シンプルで、清々しいものになるのです。